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大阪高等裁判所 昭和59年(う)645号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中尾誠、同平田武義、同村山晃、同岩佐英夫及び同田中伸(以下弁護人らと略称する)共同作成並びに被告人作成の各控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官山路隆作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

一弁護人らの控訴趣意第一について

論旨は、要するに、公職選挙法一三八条一項は、以下に述べるとおり憲法に違反し無効な規定であるのに、これを合憲として右法条を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがある、すなわち、国民主権のもとに代議制民主主義をとる我が国での選挙の重要な意義に照らすと、表現、とりわけ政治上の表現の自由は何にもまして強く保障されなければならず、そのうちでも、戸別訪問は全国民が共通に有している原始的・非代替的な最重要の表現手段であつて、その規制は単なる一手段の規制というにとどまらず、表現そのものについての規制という重大内容をもち、買収等不正行為温床論、迷惑論、煩瑣論、多額経費論、情実論等は右の自由を規制する合理的根拠たり得ないから、戸別訪問の禁止は憲法前文の国民主権主義、代議制民主主義の原則に牴触するとともに、同法二一条の表現の自由に違反し、これを侵犯するものであつて、国民的基本的人権の「最大の尊重」がなされていないから、同法一一条、一三条にも牴触し、一般国民からは最も基本的・原始的な表現手段を奪い、他方、権力ある者には金を使い、会社や地域や利益団体などを通し、思うがままの選挙運動を展開させるなど、かえつて不平等を拡大させるものであるから、同法一四条の法の下の平等に反し、公務員選定は国民の固有の権利である筈が、その選定の過程に不当な手かせ・足かせを及ぼしているという点で、同法一五条に違反し、更に、戸別訪問罪が正当な処罰の根拠なく、又はその根拠以上に国民を処罰しようとしている点において、罪刑の明確・適正性を要求する同法三一条に違反し、終局的に、憲法の最高法規性を定めた同法九八条、同尊重擁護義務を定めた同法九九条にも違反することが明らかである、というのである。

そこで、所論並びに答弁にかんがみ判断するに、公職選挙法一三八条一項の規定が憲法二一条等に違反するものではないことは、過去累次の最高裁判所の判例(昭和二五年九月二七日大法廷判決、昭和四一年五月二七日第二小法廷判決、昭和四二年一一月二一日第三小法廷判決、昭和四四年二月六日第一小法廷判決、昭和四四年四月二三日大法廷判決、昭和四五年一一月二四日第三小法廷判決、昭和四七年三月三〇日第一小法廷判決、昭和五四年七月五日第一小法廷判決、同年九月二〇日第一小法廷判決、昭和五五年四月二四日第一小法廷判決、同年六月六日第二小法廷判決、昭和五六年六月一五日第二小法廷判決、同年七月二一日第三小法廷判決など)の趣旨に徴して明らかであり、当裁判所もこれと見解を異にするものではない。

すなわち、選挙運動の自由といえども絶対無制限なものではなく、憲法一二条及び一三条の規定に照らし、公共の福祉の見地からこれに対して必要かつ合理的な制限を加えることができることはいうまでもないところ、既に前示各判例にも示されているとおり、戸別訪問は、それが買収、利害誘導等の温床になり易く、また選挙人の生活の平穏を害するなどの幣害があることは否定できないのであつて、そうした幣害を防止し、もつて選挙の自由と公正を確保しようとする戸別訪問の禁止は、その目的において正当であるばかりか、方法としても、単に戸別訪問という手段方法を制約するにすぎず、もとより意見表明の自由そのものを制約するものでなく、その制約は間接的、付随的で必要かつ合理的な限度にとどまつている上、戸別訪問の禁止によつて失われる右の利益と、これを禁止してその幣害を防止しもつて選挙の自由と公正を確保するという、これによつて得られる利益との比較衡量においても、後者の利益が前者に比してはるかに大きいといえるから、結局、戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法一三八条一項の規定は、合理的で必要やむを得ない限度を超えるものとは認められず、憲法前文、一一条、一三条、二一条に違反するものではない。また、戸別訪問の禁止は前示のように選挙の自由と公正を確保することにあり、選挙運動における不当な不平等の排除を目ざしこそすれ、毫もその拡大を意図するものではないし、もとより国民の選挙権を不当に侵害するものでもないから、同法一四条、一五条に違反しないことは明白である。それに、戸別訪問罪は構成要件的に明確であるばかりか、戸別訪問を一律に禁止するかどうか及びその罰則の内容をいかに定めるかは、専ら選挙の自由と公正を確保する見地からする立法上の問題であり、国会がその裁量の範囲内で定めた同罪の罰則に禁錮刑が定められているからといつて、何ら憲法三一条に違反するところはないし、これが同法九八条、九九条に違反するとする所論の失当であることも、いうまでもない。

そうすると、その理由説示の方法はともかくとして、結論的には右と同一の見解に立ち、被告人の本件所為について公職選挙法一三八条一項を適用した原判決は正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

二弁護人らの控訴趣意第三のうち訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、要するに、A、B、C及びDの検査官に対する各供述調書抄本は、いずれも特信性がないのに、原裁判所がこれを肯定して証拠に採用したのは、刑事訴訟法三二一条一項二号に違反するものであつて、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるから、破棄を免れない、というのである。

そこで検討するに、原裁判所がAらの検査官に対する所論各供述調書抄本についてこれを刑事訴訟法三二一条一項二号該当の書面として採用し、原判示事実を認定する証拠としたことは、記録上明らかであるところ、右Aらの各原審公判廷における供述は、いずれも供述者にとりその子女のかつての担任教師に当たる被告人の面前でなされたものであつて、同人の立場を思い、その不利益とならないよう格別の配慮を払つた形跡が見受けられるのに対し、検察官の面前における供述は、被告人にそのようなはばかりを要しない同人不在の場所でなされたものであること、また、前者が事件発生後三、四年余を経過してからのものであるのに対し、後者はそのわずか半月ばかり後のものであつて、時期的には、後者の方がはるかに記憶の鮮明な時点での供述であること(なお、この点につき、各供述者とも原審公判廷において、被告人の本件訪問時の状況の詳細までは覚えていないなどと述べ、その原審供述時の記憶のあいまいさを自認している。)、しかも、右Aらは、いずれも本件事件の純然たる参考人として検察官の取調を受けたものであつて、その取調は、所論のいうように検察官が強引に誘導し故意に虚偽の供述を押しつけるといつた不法、不当なものではなく、十分供述の任意性を保ち得るものであつたと認められることなどに徴すると、右Aらの各検察官面前の供述には原審供述に比しこれを信用すべき特別の情況があるものと認められるから、その各検察官調書抄本を刑事訴訟法三二一条一項二号書面として採用した原審の訴訟手続は正当であつて、所論の違法はない。論旨は理由がない。

三弁護人らの控訴趣意第二及び第三のうち事実誤認ひいて法令適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、被告人の本件各訪問行為は、各界連支持加入署名という政治活動の性格を併せもつた組合活動であつて、選挙運動ではなく、E方への訪問は連続性がなく、Aに対してはそもそも被告人の面接行為がないのに、原判決がこれらをすべて投票依頼の目的でなされた戸別訪問であると認めたのは、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたもので、かつ、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論及び答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判決がA方での面接の相手方を同人自身であると認めた点は誤りであり、また、同人方での被告人の訪問状況について判示するところも、そのままこれを是認することはできないが、それ以外の部分はいずれも原判決の認定を正当として是認することができ、結局、原判示罪となるべき事実は、右のA方での面接者を同人ではなく同人の妻A′(A″の母)であると認めるほか、原判決挙示の証拠によつて優に肯認できるものといわなければならない。すなわち、右証拠によれば、所論のいう「各界連」なる組織の結成経過やその性格、活動状況など本件選挙をめぐる背景事情のほか、被告人の教師及び教職員組合員としての当時の身分関係、更には被告人の本件各訪問先(ただし、A方を除く。)での具体的な訪問状況などについては、いずれも原判決がその「(争点に対する判断)」の二において詳細に摘示するとおりの事実が認められ、それによると、当時被告人は、各界連の加盟団体の一つである綴喜教職員組合の執行委員の地位にあり、その活動の一環として、自己の所属する○△第四小学校分会の決議に基づき、本件各訪問行為に及んだものであつて、確かに、それが、所論のいうように、知事選挙を目前に京都の民主的な教育を担任の父母らに理解してもらうため各界連への加入・支持を求めるといつた、本来的な意味での組合活動ないしは政治活動としての側面を有していたことは否定できないが、他方、原判決も説示するように、本件各訪問は、各界連により既に京都大学教授Sがその推薦の知事候補として対外的に発表された後、それも、選挙の告示三日前ないし告示後一〇日すぎという極めて選挙に密着した時期に行われたものであり、現に、被告人は、訪問先において、Sの写真が載つているビラ或いはパンフレットを示すなどした上、同人への投票依頼の発言をしており、また、各界連への加入・支持の署名用紙にも、本来の意図は別として「府民の知事は府民の手で」などと右趣旨を窺わせる記載があるのであつて、これらの点にもかんがみるとき、本件各訪問行為(もつとも、A方における行為については、後に改めて判断する。)は、単なる組合ないし政治活動にとどまらず、選挙運動としての性質を有しているものというべきであり、被告人はSに投票を得しめる目的をもつて本件各訪問行為をしたものと認められる。右設定に反する被告人及び原審証人Iの各供述は、原審証人E、F、B、D及びCの各供述、並びにB、C、Dの検察官に対する各供述調書抄本の記載に照らし、措信できない。

これに対し、所論は、右Bら三名の各検察官調書がいずれも誘導によつて作成されたもので信用できないというのであるが、これらの調書については、前示二で既述のとおりいずれも特信性の認められるものであり、同人らと被告人との当時の関係からすれば、たとえ検察官の誘導があつたとしても、あえて虚偽の事実まで述べて被告人を不利益な立場に陥れたとは考え難く、またその供述内容も具体的であるところから、十分信用に値するものといえる。

所論はまた、E方への訪問行為が連続性の要件に欠けるともいうが、前示のとおり、本件各訪問行為は、いずれも各界連への加入を動機として、当初から順次その加入・支持の呼びかけとともに投票をも依頼しようとの目的で計画的になされたものであり、同一の意思に基づくものと認められるから、たとえE方への訪問と他の訪問先へのそれとの間に約二週間の隔たりがあつても、なお連続性の要件に欠けるところはないというべきである。

更に所論は、A方への訪問行為について、被告人の面接の相手方がA自身ではなく同人の妻A′であるとした上、この点の公訴事実は前提をも欠くとして、被告人の無罪を主張する。確かに、証拠を検討すると、右面接の相手方はAではなく同人の妻A′であると認められること、前示のとおりであつて、その限りにおいて原判決の認定は誤りといわなければならない。すなわち、Aについては、その検察官調書の記載内容と原審公判廷での供述内容が大きくくい違つているのであり、原判決が前者を信用したことはその判文上明らかである。しかしながら、同人の原審供述に従えば、被告人がA方を訪問した際、実際には妻A′が玄関先で被告人と応接し、自分は直接面接せず、単に別室で右両者の会話を聞いていたにすぎないが、妻が口べたで捜査官の取調を受けることを嫌がつたため、妻と相談の上、捜査官に対しては自分が被告人と面接したかのように説明し、その旨の調書が作られたというのであつて、Aの弁明するところは、それ自体決して了解不可能なことではないばかりか、内容的にもA′の当審供述及び被告人の原審供とよく合致するものであること、また、Aの検察官調書の記載内容は、なるほど具体的ではあるけれども、右のように同人自身が別室で聞いていた事実であるとすれば、改めて妻から聞き糺すまでもなく十分語り得る程度のものであること、そして何よりも、同人が、本来被告人の罪責を否定する上で必要とも思われない右面接者の点につき、あえて捜査段階での供述をひるがえしてまで証言し、その結果、これまで極力本件とのかかわり合いを避けてきた妻をも、当審証人として出廷させるに至つたことなど、かれこれ併せ考えると、右面接者に関するAの供述は、その原審供述の方が信用できるというべきで、原判決は、この点についての証拠の価値判断を誤つたものというほかない。もつとも、Aの原審供述が信用できるのは、専ら右の面接者の点に関することであつて、それ以外の、例えば被告人が訪問の際にとつた言動などの点では、原審供述は甚だあいまいで、不自然であり、前示調書の特信性についての判断で述べた理由などに徴しても、その検察官調書の信用性は高いものと考える。そして、同調書の抄本等原判決挙示の関係証拠によれば、被告人がA方訪問の際にとつた言動として、原判決がその「(争点に対する判断)」の二の当該部分において摘示するところは、面接の相手方をA′であるとする以外、ほぼその内容どおり(ただし、各界連の加入用紙に氏名・住所・電話番号を書いたのはAである。)のものと認められ、それによると、他の訪問先と同様、A方の場合も、被告人の訪問行為は、単なる組合ないし政治活動にとどまらず、選挙運動としての性質を有しているものというべきである。そうだとすれば、原判決は、右のA方への訪問行為について、単に面接者の点のみで事実を誤認したことになるが、もともと戸別訪問罪の成立要件としては、「選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて、選挙人方を訪れ、面会を求める行為をすれば足り、必ずしもそれ以上に当該選挙人に面接するとか、更には口頭で投票し又は投票しないことを依頼するとかの行為に及ぶことを要しない。」(最高裁判所昭和四三年一二月二四日第三小法廷判決参照)とされるところから、本件の場合、右誤認は犯罪の成否そのものに関係なく、未だ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない(なお、右の面接者の点については、原審公判においても争点となつており、既に被告人及び弁護人の防御は尽くされているものと認められるから、当裁判所のような認定をする上で、特に訴因の変更を要するものではない。)。

以上いずれも所論は失当であり、その他の所論、殊に、本件各訪問と相前後して被告人が多数の担任児童の家庭を訪問し、それらの訪問先においては被告人の投票依頼行為が認められないとする点にもかんがみ、更に記録を調査、検討しても、前示の結論を変更する要をみない。そうすると、A方での面接者の点で一部事実の誤認があるとはいえ、被告人の本件各訪問行為につき公職選挙法一三八条一項を適用して戸別訪問罪の成立を肯認した原判決は正当であり、所論のような判決に影響を及ぼす事実誤認ひいて法令適用の誤りはない。論旨は、結局理由がない。

四弁護人らの控訴趣意第四について

論旨は、要するに、(1) 公職選挙法一三七条の「教育上の地位利用」とは、教育上の利害を相手方又はその児童等に及ぼし得る関係にある場合に、教育者の職務上の地位、職務権限又は職務に密接な行為に関連して、何らかの利害が及び可能性を相手方に認識させるような常軌を逸した言動によつて、その影響力又は便益を選挙運動との結びつきにおいて不当に利用することをいうのに、原判決が、これを、「教育者の地位に伴う影響力を利用することを指し、選挙運動の相手方は被教育者に限らず、父兄等利害関係のある第三者も間接的あるいは直接的に相手方になるというべきであるが、「地位を利用する」という以上、その行為自体が客観的にみてその地位に基づく影響力を及ぼしうると認められる態様でなされることが必要であると考えられる。」とし、単に行為の態様に着目するだけで、右の教育上の利害関係及び職務との関連には触れることなく、特に職務との関連については何ら言及しないで、被告人の本件行為に公職選挙法一三七条を適用したのは、法令の解釈適用を誤つたものであり、(2) また、その前提事実として原判決が摘示するところも、(イ) 被告人が再度五年生の担任となる可能性があつたとする点は、客観的な事実の見方とはい難く、(ロ) 被告人が訪問先において必ず初めに「組合の用事できました」と言つたとは認定できないとする点は、明らかに事実に反しており、(ハ) F、C、Dの各訪問先で話題になつたという「子供の話」については、それが、原判決のいうような職務との関連でなされたものではなく、結局これらの各点で原判決には事実の誤認があり、かつ、右のいずれの誤りも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで判断するに、公職選挙法一三七条の規定がもうけられた趣旨は、原判決も説示するように、教育者がその地位を利用して選挙運動をすることは、教育者の地位に関する理念に反するのみならず、選挙人の投票等に関する意思決定に不当な影響を及ぼすおそれがあるので、これを禁止処罰すべきものという点にあると解され、従つて、同条にいう「教育上の地位を利用して」とは、教育者による選挙運動が、教育者としての立場を離れ、純然たる個人の資格としてなされるのではなく、教育者としての地位に結びつけ、それに伴う影響力又は便益を利用してなされることを指すものと解されるところ、これを本件についてみるに、原判決挙示の証拠によれば、被告人は、当時、学校行事に基づくものではなく、またE方を除き春休み中のことであるとはいえ、特に自己が担任し若しくは担任したことのある本件児童らの家庭を選んで次つぎと訪問し、その際、ときには当該訪問先の児童についての話題を折り混ぜるなどした上、他に個人的な関係もないその保護者に対し、原判示のような方法で本件候補者のための投票依頼をして回つたことが認められるのであつて、このような被告人の訪問行為は、純然たる個人の資格としてではなく、教師としての地位に結びつけ、それに伴う影響力又は便益を利用してなされたものと評価できるから、教育者の地位利用による選挙運動に当たるというべきである。「地位利用」についての右と異なる所論の解釈は、制限的にすぎて採用できない。そうすると、被告人の本件所為につき公職選挙法一三七条をも適用した原判決は正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。

なおまた、原判決挙示の関係証拠によれば、本件当時、被告人が被訪問家庭の児童につき再度五年生の担任となる可能性があつたことは否定できない(現に、被告人は昭和五三年四月からの学年度において五年生を担任している)し、被告人が本件訪問先において必ず初めに「組合の用事できました」と言つたとも認定できない(例えば、F方では最初児童の傷の話をしている)し、更に、F、C、Dの各訪問先で話題になつた「子供の話」についても、それは、被告人の教師としての職務そのもの、ないしはこれと極めて密接に関連してなされたものと認められるから、これらの各点についての原判決はいずれも正当であつて、所論のような事実誤認のかどもない。

論旨は、いずれの点においても理由がない。

五弁護人らの控訴趣意第五について

論旨は、要するに、原審において、弁護人らが、「本件起訴はS陣営を支持した民主勢力に対する弾圧目的を有しており、また本件選挙でのH陣営等他党派と比して著しく偏頗な捜査、起訴がなされており、更に捜査自体が違法、不当なものであることが明らかであり、法で定める訴追裁量の範囲を逸脱しており、本件公訴提起は公訴権濫用であるから、公訴棄却されるべきである。」と主張したのに対し、原判決は、「S陣営に対してのみ不利益、弾圧目的で捜査がなされたとまでは言えず……弁護人と被告人との昭和五三年四月一六日の接見拒否も違法とは言えず、結局弁護人の公訴権濫用の主張は採用できない。」として右主張を排斥したが、原判決の右判断は、(1) 単にS陣営に対する捜査権力の違法、不当捜査の一部事実及び被告人と弁護人の接見拒否の事実を認定しただけで、それ以外の証拠上明らかな事実、すなわち公訴権濫用の中心をなす、他党派の違反行為に対する捜査権力の対応(極めて不公平、偏頗な捜査)、捜査権力のH陣営と一体となつた京教組及びその活動家に対する弾圧攻撃、本件事件の違法、不当な捜査(関係人に対する強引な供述調書の作成や被告人に対する不当な逮捕、勾留など)等の各事実に関しては、何の言及も認定も行わず、従つてこの点についての事実を誤認した不当があり、(2) 弁護人らの主張を排斥するにつき、個々の主張事実に即した理由を示すべきであるのに、これをしないで、簡単に公訴権濫用は認められないと結論づけ、従つてこの点で理由不備の違法もあり、かつ、右(1)の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

しかしながら、起訴便宜主義をとる現行法制下においては、検察官は、公訴の提起をするかしないかについて公範な裁量権が認められているのであつて、仮に、公訴の提起が右の裁量権を逸脱するものであつたとしても、直ちに無効となるものではなく、一定のごく限られた場合、例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的なものであるときに、はじめてその効力が否定されるべきものと解される(最高裁判所昭和五五年一二月一七日第一小法廷決定参照)ところ、本件が右にいう公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合でないことは、記録及び証拠に照らし明らかであるから、本件公訴提起が検察官の訴追裁量権の逸脱によつて無効とされるいわれはなく、従つて、これが無効であることを前提に本件公訴の棄却を求める原審弁護人らの主張は、その前提を欠き失当というべきである。なお、原判決は、その判文上からは必ずしも明確でないが、本件捜査の違法、不当性を否定し、原審弁護人の公訴権濫用の主張を排斥しているところからみて、当然に、本件公訴提起についてもその違法、不当性を否定しているものと思われる。

そうすると、その理由説示の方法はともかく、結論的には右と同旨の見解と事実認定のもとに弁護人らの主張を排斥したもので、この原判断は正当であつて、所論のような理由不備の違法がないのはもちろんのこと、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認もない。論旨は理由がない。

六被告人の控訴趣意について

論旨は、必ずしも明確でないが、おおむね、弁護人らの控訴趣意第一なしい第三と同趣旨のものと解される。しかし、そのいずれの点についても理由のないことは、さきに弁護人らの控訴趣意について判断したとおりである。

よつて、刑事訴訟法三九六条、一八一条一項但書により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官梨岡輝彦 裁判官白井万久)

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